アイ・ホーム家づくりブログ 我が輩はごい犬ばん

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大 の 字

                           大 の 字 
 畳の部屋がだんだん見られなくなった。
「大の字」と聞いてイメージされる、畳の上に寝ころがって大きく手足を投げ出した、あの気分。即ち、「大の字の気分」であり、それが即ち「大の字」となる。まるで「大の字」独特の連想ゲームなのである。
 畳には春夏秋冬の季節感がよく似合う。
一茶の句に「大の字に寝て涼しさや淋しさや」とある。いつもこの頃になると思い出す。
 又、今日の住まいでは私達は、大の字ではなく、両手は少なくとも少し閉じて暮らしているようで、大の字は何か体操でもしない限りこの手足を思い切り広げることはないような気がしてしまう。
大の字はやっぱり畳とセットで落ち着くようだ。
 昔、家の裏に砂浜があり、夜釣りに行った折など、その砂浜に寝ころがっていると、天上の星々がキラキラと輝いて、正に、降るがごとき一面の銀河と向かい合ったものだ。この時、両手両足を大きく広げて、天に比べてみれば小さな小さな「大の字」となって、しっかりバランスが取れていたような気がする。
両手両足を広げた解放感は心を軽くしてくれる魔法なのかもしれない。
 今の子供達は「大の字」って何のこと?と思っているかもしれません。


宮崎県産業支援財団の「ものづくり支援事業」に採択されました。

  この度、アイ・ホームの「新換気空調システム」が省エネと環境改善の効果を具体的に検証する為に様々な科学的な測定を行う機器の導入等で支援を受けられるようになりました。
 尚、三上克俊先生にもシステム全体の指導を戴きます。
加えて本システムの創始者である廣石和朗氏にはアイ・ホームの目標とする宮崎の気候風土に合った「新換気空調システム」として様々なご支援を戴くことになっております。
又、今回はこれまでの技術を更にコストダウン実現の為、改良を行っており、当社より特許の申請は先の6月末に完了しております。
9月にオープンのモデルハウスでは、ぜひその効果をご覧戴きたいものです。


緑のカーテン作成中

              緑のカーテン作成中
 アイ・ホームの西側の硝子戸の所に、遮光用のゴーヤ(苦瓜)を植えました。
去年我が家の畑で採り損なったゴーヤの種が今年芽吹いたものを移植。
少し心配したのですが、雨続きでしっかり成長している様子です。
「おや」ということで、皆がゴーヤを話題に話が生まれます。
「もっとネットを上まで張らないといけない」
「ヘチマはどうだ」
「花が咲いてない」
とにかく楽しみなことです。
希望というにはささやかなゴーヤですが、今や省電力のエースです。
地球にやさしく元気に育ってほしいと見守っています。
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三世代同居のメリット

            三世代同居のメリット 
 全国一位の山形県では24.9%、二位が福井県20.2%。
三世代同居であれば祖父母が孫の面倒を見て、両親は安心して共働きが出来る。
家族一人当たりの生活費は、頭割りにすると低額になる為、貯蓄にまわせる資産にもゆとりが生まれる。
 一家が揃って茶の間で食事を取り、一台のテレビで番組を見て、不用な外食はせず、一つの部屋でくつろぐことで、余分な光熱費も節約。
温かな連帯感で結ばれた家庭が、あの昭和の時代にあったように、これからの時代にも望まれるライフスタイルかもしれない。


雨降りにはビーチパラソル

         雨降りにはビーチパラソル
 雨の多い時期の展示会では、車から展示場への移動が大変だ。
先日ホームセンターで見つけたのがビーチパラソル。
これだと車も1/3程度は傘の下となる。
子供さんをだっこされたお母様にも大安心の雨よけとなった。


夢の続き

                  夢の続き 
 友人の理髪店に、これまた友人の女性がカットに来ていた。
これまでの人生で悔いることは何があるかとの話題になった。
 「一度で良いから燃えるような恋がしたかった」と、女性が言ったという。
その後一時燃えるような恋を夢見た彼女は、日頃の疲れからか、予(かね)ての夢を吐露した安堵からか、不覚にも浅い眠りに落ちてしまった。
件(くだん)の様子を理髪店の友人はこのように語った。
 「涎(よだれ)を繰りながら眠っていた」とのこと。きっと理髪店の椅子が横倒しにされ、彼が顔を剃るためにシャボンの調合を終え、片手にシャボン、一方の手にシャボンを塗る刷毛を持って近々と彼女の顔に近付いた時の目撃談であろう。
 夢の続きは時と場所、体調をも配慮して語られなければならない。
 この頃、自らの仕事を振り返って見るに、ふと気付いたことがある。
「住宅展示会は、小さな縁日に似ているな」ということ。
若いお父さんお母さんに連れられて、小さなお子さんがやって来ます。
時には祖父、祖母、友人、兄弟、姉妹で。賑やかな会話が弾んで。
お昼には、お弁当を開き、雨の日も風の日も。
この小さな縁日は賑々しく開かれる。
 何となく渥美清の「男はつらいよ」の一風景に似ているようにも思える。
 この賑やかで楽しい小さな縁日がいつまでも開かれて、元気でお店を張ってゆきたいものだと思うようになりました。
私の夢の続きは、これからもこの縁日を宮崎という故里のあちらこちらで開いてゆくことであります。


ふれあいの森に行って来ました。

                ふれあいの森に行って来ました
 新燃岳の火山灰に埋もれてどうなっているんだろうと
 「アイ・ホーム ふれあいの森」に行って来ました。
 5月10日でしたが、当日は大雨の予想で、土石流が発生するのではないかと報じられており
 心配しながらの行程となりました。
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無事到着。火山灰が見当たりません。
緑が茂り、初夏に向けて勢いづくありさまに「ホッ」

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植林された木も元気です。
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近くの側溝には、やっぱり降灰が積もっていたみたいです。
とは言え、一安心。
6月頃には下草払いをしなければならないようです。
火山の鎮静化が望まれます。


良い子のパパ(子供の日にちなんで)

良い子のパパ(子供の日にちなんで)                                           
 「どうすればこのような良い子に育てられるのか」、それは親として最高の誉め言葉である。
 世の職業に仕事から得られる最高の喜びは「感謝」の念を贈られることである。
さればこそ元気と誇りを胸に、困難にも立ち向かうことが出来るというものである。
 ここに獣医という職業がある。
思うに動物に対し、誰よりも愛情深く、怪我や病から動物を救い、癒す仕事である。しかしながら患者である動物から「感謝」の念を寄せられることはまずないようで、仮にワンチャンの場合は吠えられ、時には咬まれることさえあるという、割に合わない仕事となっている。
 ところで当家のミニチュアダックス君は動物病院に行けば院長室に喜んで走り込む。しかも小さな尻尾をブンブン振りながら。すると院長の顔に驚きと感動が広がり、「ヨシヨシ」ということになる。
 次いで、検査の後に痛い注射となれば診察台の上で、これも静かに注射の終わるのを待っている。
 「おりこうさんだね」
 見ている方が顔をしかめているうちにチョロチョロと尻尾を振って、終わりました。
 終に、院長はウメイタ。「人間に対する深い信頼に支えられているワンチャン。どうすれば、こんな良い子に育てられるのですか?」
 院長の顔は、私共犬バカ夫婦に最大限の賛辞を贈っていた。
 我が家に犬の居ない時は無かったと言える程、犬とは永いおつき合い。
自然と会得した「犬飼いの奥義」とは、「犬の気持ち」を感じながら楽しく暮らす日々を重ね、信頼の絆を育てるといったところか。
 その日以来、私、時々町の銭湯で出会う院長様から、尊敬の波動を受ける犬パパとして、「良い子のパパ」として最大限の満足を味わっている、アホなパパでもあるのである。
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空気は見えない

       空気は見えない                  
 
 川の水は澄んでいれば透明さ故に、まるで水底がすぐそばにあるように見える。表面の光のゆらぎが、水がそこに在ることを教えてくれる。
水に手を入れれば冷たく、又は温かで、コップに入れれば重たさに水の存在をしっかりと感じることができる。
 では、空気はどのような物であろうか。
「まるで空気のような」という表現がある。存在感のないことを言う。
見れども見えず、重さも、本来匂いさえもない「物」が空気である。
 「化学物質」という、例えばVOC濃度に国は安全基準を設けている。
こうした有害物質が空気の中に混在しても目に見えない。匂いは「気配」として感じ取れるが、やっかいな有害物質ということになる。
 健康を害するVOCなどの有害物質は排除されねばならない。安全な度合いを知る目安として4スターなどという星印が多い程、そうして4葉のクローバーではないが、星が4コ揃えばまずは安全という消費者自身が目で見て安全を確認できる基準を国は示すことになる。
       見えない空気は恐い。                                                  
 
 花粉症の方、アトピー症の方、皆さん空気の恐さを知っている。花粉やVOCは目に見えない空気の中に在り、呼吸によって体内に取り込まれる。
対策には、花粉を除去するフィルターを通して室内に空気を取り込んだり、内装建材からVOCを取り除いて、できるだけ自然素材を用いて、良い環境づくりを行なうことになる。
 ところで、そのようにして出来上がった室内の空気環境は安全といえるのでしょうか。
       高断熱高気密住宅における空気 
                                                      
 現在、省エネルギーは国際的な目標である。
日本においても環境負荷の少ない家造りを目標に建築上の基準が設けられた。
住まいは高断熱で、その為には高気密な家づくりが不可欠とされている。
しかし、「高気密」がもたらす弊害は空気の汚れである。よって、換気量について「必要換気量」という基準が設けられた。
曰く、1時間当たり1/2以上の換気量を獲得しなければならないという基準である。
        子供室の空気が危ない 
                                                       
 それでは、子供室における空気について考えてみましょう。子供室のスペースは6~4.5畳で設計されることが多い。       例えば、4.5畳の子供室は約19㎥の空気量である。この1/2の換気量は9.5㎥ ということになる。
 ところで、人は肺呼吸するため酸素を消費する。結果として、CO2濃度が上昇し、空気が汚れることになる。
一定の換気を行なえばこの上昇を抑え、清浄な空気環境を保てることになる。
国は空気に関する法基準として、人一人につき1時間当たり25㎥ の換気が望ましいとしている。
 比較してみて戴きたい、9.5㎥ と25㎥ を。絶対量が足りないのです。
ではなぜこうした矛盾がおこったのかということです。
そもそも1時間当たり1/2の換気量が一棟丸ごとの建物である住宅空間全体を対象に設定されたことに問題があるのです。
一棟の建物の空気量は40坪程度の住宅であれば約330㎥ になる。
この1/2の空気量は165㎥ となり、居住者が4人であれば1人当たり41㎥ となり25㎥ より多く絶対量は足りていることになる。
しかし、室内は区切られており、中でも子供室は4.5畳と狭い、気積も約19㎥ 程度しかないのである。
この1/2は約9.5㎥ ということになり換気不足となる。必要換気量の38%しか実現できていない。
家全体では換気量は足りていても、子供室に限って検証すると全くの不足である。
       換気量10倍で健康な暮らし 
                                                              
 アイ・ホーム㈱では、先のような換気不足を独自の計画換気で解消。実証ハウスモデルではいつも新鮮な空気で子供たちに元気をお届け致しています。
 尚、この時、温度差の少ない1℃~2℃以内で温熱環境を快適にコントロールする機能を持たせることで、省エネ冷暖を可能に致しました。
 又、住宅の断熱性の良さは晴れた日で日射取得による太陽熱加熱が見込め、冬にはエアコンはストップして戴いても室温が下がることは余程寒冷な日以外はありません。詳細なデータが省エネ性能の良さを証明しています。
       体感検証が可能になった
 宮崎市内ではサン新名爪に「ひむかの森発見館」というモデルハウスを展示中です。日向市内では大王町に「清風緑庭の家」として展示(この連休より)致します。
 空気の質は換気量を増やすことで根本的な解質を実現できるということにそろそろ気付いても良いころではないでしょうか。
 化学物質を含まない自然素材を建築素材に用いたり、塗り壁にしてみたり、様々な努力を行なっても、子供室(4.5畳)の換気風量が必要換気量の35%であることに早く気付くべきだったということなのです。
 日向のお客様より、「子供のアトピーが大幅に改善した。」「妻の喘息(ぜんそく)が出なくなった。」という嬉しいお話も届いています。
 論より証拠、ぜひ体感されてみてはいかがでしょう。


春の落葉

                    春の落葉 
 暖かな日和となった高鍋町の宿泊展示場、木々の若葉が美しい。
庭に目を向けると、常緑の木々が春の若葉を広げる一方で古葉を一勢に落としている。
 これでは御宿泊のお客様に失礼だということで急遽大掃除となった。
大方の落葉を片付けて、ふと見上げると、これから落ちて来そうな古葉が木々の下枝に付いている。暫くは仕方がないようだ。
 当日の作業や庭の花々も写真に納めましたのでご覧下さい。
◎写真をクリックすると拡大して表示されます。
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↑ハナミズキ                   ↑小手毬(コデマリ)
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                          ↑吉富さん作のプランター
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↑杉苔(スギゴケ)                 


インド人でも暑く、ロシア人でも寒い家

             インド人でも暑く、ロシア人でも寒い家
建築基準法には「建築物を作るための最低基準を定める」と記されている。
建築基準法を守ることは建築に携わる者にとって、犯罪者にならない為の戒(いまし)めに他ならない。
 結果として、日本の家造りが、この最低基準で保護されているようなものである。
 今日、国は最低基準を下回るような家造りから少しでも改善された住まいづくりを行なうグループがあれば「合理化認定」という形で一定の評価を与えるようになった。
ただし、この合理化認定はレベルの低い日本の家造りを少しでも良くしたいということで設けられた制度でした。
最低基準の底上げが目的であったということです。
又、「最高」「本格」といった形容詞で商品の優秀性をピーアールすることは「公正取引法」において禁止されていますが、中には「高品○」などという言葉を加えて、この合理化認定を国から高い技術的な認定を受けたようにアピールしたくなった所も見受けます。
あくまでも最低基準の底上げに効果があるということでの合理化認定工法として認可されただけなのです。
さて、日本の住まい造りは、このような最低基準の底上げ行政から長期優良住宅先導的モデル事業に見るトップランナー育成型に変換されつつある。
優れた技術を評価することで業界を良い方へ発展させようということです。
 アイ・ホームでは過去2回、国交省の「長期優良住宅先導的モデル事業」の認定を受けることが出来ました。
県内の業者の中では何処も無し得なかった認定と言えば、自画自賛になってしまいますが、とにかくも、実力の証明にはなったのではないかと思うところです。
 さて、「ひむかの森 発見館」の快適省エネ品質がデータ的に出揃って参りました。
インド人もロシア人も快適な住まいと認定して戴けそうな住宅性能を実現できております。
それでは、以下検証してみましょう。
◇初めに、このデータの見方
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電力データ説明s
◆2月17日午前8時~2月18日午前8時の電気使用データ
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電力データ0217-0218s
0217-0218グラフs
◆2月18日午前8時~2月19日午前8時の電気使用データ
(↓画像をクリックで拡大表示)
電力データ0218-0219s
0218-0219グラフs


パンジーの花が満開

          パンジーの花が満開 
 2月の寒い日に植えたパンジーが満開となった。
植えた者は開いた花に目が行く。
 昔、活け花は女性の嗜みであった。土曜日ともなれば数多(あまた)の女性が活け花教室に通った。
東京山手線のホームに置かれたごみ箱に数多の花が捨てられるようになって程無く、活け花は女性の嗜みではなくなったようだ。
女性達はホームのごみ箱に花材を捨てると、さっそうとデートに出掛けたという訳で、「ものの哀れ」という日本的な情緒もそのころから忘れられる運命にあったようだ。
 津波に壊滅した三陸の地で、年配の女性が孫娘の誕生記念に植えた梅の幼木を、今はもう全てが津波に押し流された家の敷地に見い出す様がテレビで放映されていた。
生きていれば、いつの日か春を告げる満開の花をつけた梅を見たであろう孫娘の為に、必ず復興させこの梅の花を守るのだと女性は語った。
女性は孫娘の母であった自らの娘も同時に喪っていた。
 私事ではあるが、先日二女が30週目で子供を死産した。
手も足もきちんと形が出来ており、髪も伸びて揉上げも立派な男の子だった。小さな棺に入れられて花に埋もれるようにして眠っていた。棺の内側の四面に二女と婿殿そうしてその他の家族の写真が並べられた。
 私共から見ると、まだまだ若い夫婦は子供のように見えてしまうが、やはり二人は立派な親だった。
なぜなら、美しい海や山、野原の写真が添えられていた。
「いっぱい色んなところに連れて行ってあげたかった。」と言う。
こちらは不幸の中にも幸せな光景を目に残してくれた。
 一方、三陸の海に消えた数多の人々の消息は未だに不明だ。
手向けの花さえもままならない日々が続いている。
どうか平穏な日々、花を愛でることの出来る良き日が、三陸の地に一日も早く来ることを願わずにはおられない。


今私達のやるべきこと

 新住協の事務局長の会沢氏よりメールが来た。
 会沢さんは仙台の若林区に住まいされており、同区内の荒浜というところで200~300人の遺体が上がったとの被害報道がされたことがあり、どうされているか気になっていたところでした。
 会沢氏は私共アイ・ホームがQ1.0住宅に取り組む窓口になって戴いた方でQ1.0住宅の改良、普及に努められている。
そのQ1.0住宅の家づくりは、現在性能表示で定められた最高レベルの断熱住宅よりも更に高断熱の住宅を造ることを目標としたもので、メールは被災後の同氏のQ1.0住宅での実体験を知らせる内容となっていた。
 会沢氏の住まいは幸い津波を免れ、耐震改修を3年前に行なっていた為、震度7の揺れにも無傷で耐えたとのこと。
結果として屋根も壁も家具調度も被害は皆無に近かった。
そうして、その日から暖房のない暮らしが始まったとのこと。
幸い4日目には電気が通じたが、周囲のあまりにもひどい難儀を目にして暖房は一切用いず1週間を過ごしたとのこと。
会沢氏のQ1.0住宅では、暖房なしにもかかわらず日中15~16℃。日が照ると室温は17~18℃に上がったとのこと。
最低室温の日でも14℃で、灯油を買いに走らないで済んだとのこと。
 早朝の一番寒い日が12℃で午前7時、こうした寒い夜中から朝までは蒲団の中に居れば良い訳で、いざというときにQ1.0住宅の家づくりが大いに役に立ったとのこと。
 更に、オール電化を支えていた住まい造りは原発があってこそであり、こうした原発に支えられた現在のオール電化の暮らしは果たしてクリーンなエネルギー利用と言えたのだろうかと述べられている。これからは太陽光給湯や太陽光発電を組み合わせるなど、新しい方向を探るべきではないかと結んでおられた。
 宮崎における住まいづくりも、少しでもこうした教訓をもとに変えてゆかねばならない。
これからの行動計画としては、今年の秋頃を目途に「暮らしを守る」家づくりというテーマで、提案モデルハウスを完成させたいと考えているところです。
 会沢氏から戴いたヒントに加え、今回は電気を溜めて備える方法などもご提案したいと思っています。
曰く、
◎ 太陽光の電気を溜めて、停電時に安心の明かりと介護のエネルギーに利用。
◎ 深夜電気を溜めて使えないか。
◎ 電力不足を補うピークカット対策は。
◎ 太陽熱の利用。
◎ 太陽光発電の利用。
◎ 緊急時の不足する水利用に一定のボリュームをどう獲得すべきか。
◎ 食料貯蔵を住まい造りの中で実現できるスペース、室温コントロールを可能にする技術はないのか等、チャレンジしてみたいと思っています。
ちなみに、先に国土交通省から採択された長期優良住宅先導的モデル事業の「匠の力」では、ライフラインが切断された際の一時的回避対策を提案している。
 
今私達のやるべきこと


震災余波

 未だに原発を回る努力が、それこそ命懸けで行なわれている。
日本中が注目する中、次々に新しい事態が起きている。
 チェルノブイリ原発の事故は記録によると、メルトダウンによる大爆発で、広島、長崎型原爆の200~400発分の被害が発生したと記されている。
住めなくなった地域は30Km圏とされている。
なんとしても、命懸けで働いて下さっている方々の努力が報われ、日本という国が救われますよう祈るばかりです。
 私共建築工事業にも震災の余波が及んでいる。
合板、電線、断熱材、屋根材等の入手難から工事を中断しなければならない企業も多く出ている。復興住宅用に緊急に大量の資材を確保する為、日本政府より、各メーカー、問屋にストップがかかったとのこと。
 資材によっては東北地方に生産拠点がある合板その他様々な部品が、工場の破壊によって、あるいは輸送困難により我々の所へ届かないこととなっている。
 私共としても手を拱(こまぬ)くばかりではお客様にご迷惑をおかけすることになる為、八方手を尽くして支障のないように準備を進めております。
当面の資材の手当ては調(ととの)って参りましたが、長期に渡る混乱を心配しております。
 一方、銅の価格が異常に上昇しており、中国やインドの旺盛な需要により、インフレの前兆が追い打ちして、更にこの度の震災により大量の需要が発生。
物は在っても安くでは出荷しないという風潮が、日本にも、日本を取り巻く韓国、中国にまで起こりつつあります。
 このような時こそ、日本支援の為、優先的に良心的な物流を隣国にもお願いしたいものです。
電線が入手困難という一報で、私の兄(下関で船舶電装の会社を経営)に連絡してみたところ、韓国のメーカーから既に契約済みの2,500万円分の電線をキャンセル料を払ってもキャンセルしたいとのこと。同じものを3,100万円で出荷するとの話だった。
加えて、私共日本の住宅用にこうした電線を使用することは日本のJAS制度と国際規格との制度上の違いもあり、使用できないという事情もあるとのこと。
 グローバル社会という言葉が世に知られて久しいが、日本基準も国際規格との整合性をとってゆかなければならない時機に来ているようだ。
このような大震災に遭遇して改めて気付かされた。
弊社公式ホームページはこちら
                                          平成23年3月22日
                                          アイ・ホーム株式会社
                                        代表取締役 田村 寛治

 

コメントを寄せていただいた「てっちゃん」
資材が逼迫するなかですが、頑張ってください。ガンバレ日本!!ガンバレ寛ちゃん!!大阪から応援しています。

てっちゃんへ

今、「100歳まで自分で暮らせる家」を作っています。今年(2012年)の11月末には完成します。「死ぬ恐怖」と同じくらい「100歳まで生き残る恐怖」もあるよね。他人の世話にならず、元気で暮らせる家を計画しています。宮崎に来ることがあれば、連絡してください。 寛治


今在ることの奇跡

            今在ることの奇跡                                                 東北東日本地震には言葉もない。津波の凄惨さには改めて自然の脅威を思い知らされました。地震そのものに耐えた住まいも、押し寄せる海水の圧力に成すすべもなかった。
 仕事柄、惨状を見ながら「何故」を考えてしまう。
 地震学者の述懐として、「今回のことは充分に想像できており、そのことだけは皆に告げるべきだったが、そのことが充分ではなかった。」という内容を聞いた。昔国府が置かれていた内陸部の地に、古文書が残されており、その頃、大水が押し寄せて1,000人程が死亡し、建物も押し流されたと記されていたとのこと。
 京都などは昔から栄えており、古文書も多いが東北地方ではなかなか記録らしいものも残っておらず、研究にも支障があるとか。
ともあれ、東北の国府跡近くの寺から見つかったこうした記録が地震学者であればこそ見過ごせない記述ということになったようだ。
国府跡の地層からはおそらく津波によって運ばれたであろう海の砂が大量に見つかっていたのである。1,000年~600年に一度という時間を身近に感じた地震学者は、そのことを機会があれば他人に話してはいたという。
 ところで、倒壊した建物から炎が上がっていた。
仕事柄、何故だと考えてしまう。このことについては識者のご意見や今後の解明を待たねばなりませんので、今のところ、私の個人的な疑問ということになりますが。
 知り合いの建築業者の方も被災されているようで、連絡も取れない。
このようにしてブログを書いていること、そうして普通に暮らせている今こそが奇跡なのだと思えて来る。
 私達に何が出来るのだろうか。
出来ることを皆で考えて行動をしてゆかねばと思っています
最後になりましたが、東北東日本の方々で被災された多くの方々に心よりお見舞い申し上げます。
                                          平成23年3月14日
                                          アイ・ホーム株式会社
                                        代表取締役 田村 寛治


テレビの中はもっと熱い

              テレビの中はもっと熱い
 サウナの中にガッシリとした体格の老人が腰をかがめながら入って来た。
するといきなりペタンと段々になった板の上に腰掛けた。ルール違反である。
何か敷物をして座るべきで、清潔を旨とする我らがサウナがと見ていると、横にいた学生が話し掛けた。
 「監督、サウナ好きなんですか」(暗にその無作法の原因を探っての質問)
 「否、好きな訳じゃないけど」
 「気を付けて下さいよ、こんな所で倒れたら大変なんだから」
 「大丈夫、大丈夫、でもわかんないよな、5年ぐらい前、○○大学の○○監督、遠征先で倒れて死んじゃったも  んな」
 「夜、暇を見て気晴らしにパチンコに行ってたら、横で突然倒れちゃって、あの人デカイし、大変さ・・・」
 「監督、他人事じゃないんだから」
 監督の回りに5、6人の若者がいたが、その内の一人がつと立ち上がって外へ出た。そうして、サウナ用の敷物を掴んで帰って来た。
 「監督、熱いでしょ」と差し出した。
 「いや、熱くない」と監督はそれを脇に置いた。
せっかく若者が、我らが監督の為に「マナーの敷物を運んでくれたのに」。
でも熱いにきまってる。強がってるその姿は妙に可愛い。ガッシリはしているけれど衰えは隠せない、なにしろ裸のおつきあい。好きでもないサウナに何故監督は?
私も学生さんも気付いていた。「監督、な~んか淋しかったんだろ」
 そうして今時の若者がぶっきらぼうな口利きだが、先輩を気遣って、マナーの「敷物」を運んでくれたりと、ほのぼのと楽しい気分になった。
 3月、今年もあの学生たちが合宿に来ていた。
温泉のサウナの中に若者が満ち、年配者の中に昨年より若いコーチらしい人が混っている。何やら熱心にテレビを見ている。
 内容は、子供の頃不遇だった女性が困難の中で培(つちか)った接客術を活かしたスーパーバイザーとしての活躍を描いていた。
主人公の女性は「笑顔」「強制しない接客」「気配り」「工夫」「行動力」について語り、実際にある店舗の社員と一緒になって働いていた。
 「いいこと言うよなー、勉強になる」
 「ですよね」
 「でも俺、熱くなって来て、出ると見れないし」
 「ほんと、でもテレビの方がもっと熱いよ」
笑い声がサウナ室に広がった。
折を見て、コーチは熱いサウナ室から飛び出て行った。
我慢も限界だったのだろうと思っていると、再び戻って来た。
 テレビでは、いよいよ指導の成果が発表されていた。
スーパーマーケットの営業時間終了後、店員さんは主人公の女性の回りに集まった。
「皆さん、売り上げ目標の20%アップは実現できたでしょうか、発表して下さい。」
何と300%アップだったか?驚く程の成果となっていた。
来店客へのインタビューでは「接客が素晴らしかった」が最も多い感想となっていた。
 ちなみに、お客様から「まだでしょうか」と問われた時、「少し待って下さい」と応じるより、「少しお待ち戴いてよろしいでしょうか」と答えた方が同意を得やすいとのこと。
 学生も、コーチも、そうして我慢してテレビに向かっていた私も、身も心も熱い共同研修所と化したサウナ室。
「テレビの中はもっと熱い」と言ったコーチと学生さん達、また来年も来てほしいものです。
一緒のサウナが楽しみですね。


見られている未来

            見られている未来                                                                その時、会場は静かながら盛り上がる興奮を抑えかねていた。
「あっ」「おう」「あれは・・・」白黒の少しセピア色した小学六年生の卒業写真が大きなスクリーンを左から右へ少しづつ流れて行った。
顔、顔、顔、あの顔が。
スクリーンの向こうから少年や少女たちが、60年後を見ているような気がして来た。還暦同窓会の一こまである。
そうして写真に向かい合う還暦の38人の背後に、残り少ない未来の海が広がっている。
太陽は日の出と日没が最も美しいとか。海を背景に出来ればなおのこと。
世に旧(ふ)る面々は茫然とスクリーンに見とれている。
未来の海はスクリーンと対峙する人々との間にも、ざわざわと波立ちながら広がってくるようだった。
 何人かの「未来人」が呼び出されて前に出て、「今の私はこれこの通り」と言う。同時にワッと笑いが広がる。
ここで未来はある種の劇中劇と化し、演じ手も、観客も、競演者ということか。
それにしても、スクリーンに写った小学六年生の少年少女は皆とても可愛くて前途洋々だったのだ。
その日集いし面々はそれなりに幸せな人ばかりで、既にして亡くなった者や、来たくない事情の者や、連絡の付かなかったなかまも多かったに違いない。
ともあれ、夢多き少年少女は誰欠けることも無くスクリーンにあった。
 60歳に成ったら、一度人生の棚卸をした方が良いとも言われるが、どうだろうか。
準備ついでに辞世の句でも詠んでおくべきか。
 ところで、先人の辞世の句に
  山崎 宗鑑
 『宗鑑はいづこへと人の問うならば ちとようありてあの世へといえ』 89歳
  (※ようは用と瘍の意。宗鑑は瘍を患って死んだ。)
 未来は遠く、そうして近い。
足元の波はもう胸のあたりまで深くなっている気もする。
しかし、湯につかれば、肩までが気持ちがいいし、波を湯だと思って、もう少し楽しみたいものだと思う。


馬は倒れた

                    馬は倒れた 
 その馬は賑やかな囃子に乗って登場した。
大きく首を上下に振りながら、手綱の持ち手を引きづりながら。しかも宿の2階に設けられた桧舞台から踊り出た。
 「踊れ、踊れ」と掛け声が上がり、バラバラと人が立ち上がった。
終いには30人余りが、その馬に付き従って赤いハッピで踊り出した。
 「ハイヤー」、車のことではない。踊りの囃子言葉だ。
鹿児島県隼人町、毎年2月20日は初馬祭。その1日前のことである。
隼人宮の内小学校の還暦同窓会は祭の前夜祭よろしく19日夕刻より開かれた。
「寛ちゃん、寛ちゃんじゃろ!」浴衣を着た恰幅の良いおじさん、少し頭頂部が疎林となっている。
「分からんね」目に宿る懐かしい光、「てっちゃんやろ、分かっちょるが」
てっちゃんは子供の頃、金太郎さんみたいに体格が良く、力持ち。
学校への登下校時は自慢の裸足で、その頃、舗装もしてない小石の混ざる通学路を通っていた。
 「いいよな~、ここには温泉もあるし、気候も良くて」そう言って、心の底から故里を懐かしむてっちゃん。 それは数年前から帰郷して住みはじめた女性の話を聞いていた時、ふと口から出た彼の望郷の念である。
 「あそこの地図を見てよ。昔の地図に皆の子供の頃の写真が貼ってあるよ。作るの大変だったんだから。」
 見ると、会場の一角にその地図は貼られていた。
 道らしい線がひょろひょろと画かれた白紙に、所々に子供の写真が貼られている。
「あった!」僕の写真。「可愛かったな」
てっちゃんも、和江も、かっ子ちゃんも、皆可愛かった。
否、和江は「今も」と言っておかねばと思ってしまうのは、幼稚園で泣かされて以来、昔の力関係が今に続いて私を支配しているからだろうか。
 「寛ちゃん、だよね」そう話しかけてくれた声に振り向くと、人の好さそうなご婦人が同じ地図を覗き込んでいる。
 「転校して行ったんだよね。どうしてるかと思って気になっていたの。」
遠い昔、ポケットにカッタ(カルタ)をいっぱいに詰め込んで宮崎行きの汽車に乗った「ボク」。
宮崎では丸いカッタは誰も使ってなくて長方形ばかり。
鹿児島では丸いカッタは子供にとって宝でも、宮崎ではただの紙くず。
「ぐらしか話(鹿児島弁で、可愛そうな話)」
 ところでその馬は
「この馬元気が無いが」との声に、いよいよ大きく首を振り、張り子の頭が囃子に乗ってズンズン進む。と、突然ワッとばかり横倒しに。
妙に哀れを誘う姿となって大笑い。
三日三晩、この日の為に制作された「初馬」はこのようにして還暦同窓会の花となった。
「初馬」は倒れた後、再起すると更に元気を振りしぼり桧舞台へ、そうして再度倒れて哀れを誘った。
 ややあって、顔面蒼白の和江ちゃんが近づいて来た。
「あの馬は前が見えんとよ、中腰で頑張るので、動悸、息切れで倒れたが」とのこと。
 昔も今も暴れ馬とはゆかなかった「和江ちゃん」ご苦労様でした。
                               寛ちゃん
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甲子園の砂

甲子園の砂
 激闘の後、選手達はグランドに屈み込んで甲子園の砂を掴んだ。
―そのようにして新燃岳の灰がビニールの袋に掬い入れられた。
バラバラと人が集まり、同じように灰を掬いビニールの袋に入れてゆく。
灰は甲子園の悔し涙に濡れた砂とは異なり、良き思い出となって持ち帰られることとなった。
「本当にありがとうございました。」
先の2月26日・27日、九州山口匠の会の応援を得て、都城、高原、三股地区のお客様方の降灰除去ボランティア作業が無事終了致しました。
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アイ・ホームの共栄会の皆様、アイ・ホームの社員各位、ご苦労様でした。そうして、何よりも「九州山口匠の会」の素晴らしさを改めて思い知ったことでした。
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一枚の絵

                     一枚の絵 
 モデルハウスに「絵」があれば、お客様にもう一つの楽しみをご用意できることになります。
この場合、あくまで「絵」が主役になり過ぎないように、私共の住まいづくりを支えて戴くような「絵」の存在が望まれる。
家具や調度品はモデルの完成を見越して用意してゆくのですが、「絵」となると予算にも限りがある為、気にいったからといって、中々購入は出来ません。
 そのような訳で、画商に予算を示して「絵」を用意してもらうことになります。
 5年程前、UMK展示場モデルを新築した折、床の間を実験的なデザインとした。
畳に代えて麻のカーペット、その床の間に照明と凸凹のある壁面。そこには「掛け軸」、「書」でもOKだが、それでは革新的なデザインとは成りえないということで、「絵画」を用いることとなった。
 画商のT氏から様々な作品を提示して戴いたが、どうしてもしっくりしたものがない。
 モデルのオープンも間近になって、果たして、あの床の間にピッタリの作品が見つかるだろうかと気にしていたところ、「今から伺いますが時間はありますか」とのこと。
 待つ程にT氏の几帳面な挨拶と共に、大きな包みが運び込まれた。
中に4点程の作品があり、一点づつ箱の中から取り出して戴いた。
 3点までは、可もなし不可もなしといった感でしたが、4点目、それはようやくにして出遇えたといった感じで私の目の前にあった。
 抽象画でグレーの地にペンで様々な線が走っている。額は銀鼠の金属。
手に取って、床の間に翳(かざ)してみた。
良い。じんわりと不思議な落ち着きが伝わって来た。私は「これでゆきましょう。」といった。
ふと、振り返ってT氏を見ると、目の中に大きくゆらぐ影があって、T氏はしばらく沈黙した後、「良かった。有難うございます。」と言った。
そうして、「それは私の父が描いたものです。」と続けた。
何か良いものをと捜しあぐねた折に、父の遺作のペン画がT氏の目に止まった。
私共のモデルハウスの床の間に合わせて銀鼠の額を設(しつら)え、その他の作品と共に持参されていたとのこと。
 T氏の父君はお若い頃より画業を志され精進されておられたとのこと。そのご縁でT氏も画商になられた由。
 5年前より今日まで、大切にアイ・ホームのUMK展示場の床の間に革新的な表現としてこの「一枚の絵」が展示に大きな力を発揮してくれております。


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