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友、常夏の国に逝く

 先日、久しぶりに国際電話がかかった。「ジョワンさん」からだった。ジョワンさんの夫は私の同級生。その夫、甲斐君は、もう二十八年程前にハワイに渡った。
 「ジョワンさん」は日系の三世でハワイの州立大日本語学科を卒業。祖父母の国日本に渡って、縁あって二人は結ばれたのだった。「ジョワンさん」は昔の日本人が持っていた気質、価値観を遠くハワイの地で祖父母から純粋伝承したのか、どこか懐かしい感じのする女性だった。
 二人は、佐土原町で「ブルーカウ」というレストランを開業。清潔で美味しいお店は繁盛した。お客同士もこの二人の人柄に魅かれ親しくなり、ボウリング大会なども開かれ、会を重ねるごとに人の輪は広がった。
 その頃二人は、結婚して七年程になっていたが、子供が出来なくて、人知れず苦になっていたようだった。朴念仁の私は二人の努力を促し、「ジョワンさん」の「パパは子供が苦手だ」との返答に「それはいけない」と応じてしまった。それから程なく、甲斐君から電話がかかった。彼は泣きながら電話口で黙っている。「泣いていては何の事かわからない。ちゃんと話せよ」と言うと「子供が出来たらしい」との事だった。
 その後、ジョワンさんはだんだん大きくなる御中をかかえながら、健気にお店を手伝っていたが、或日、夫君が「自分達はハワイに行き、そちらで子育てし、仕事も頑張る」と宣言した。当時お元気だったジョワンさんの御両親の手助けが二人の子育てや生活設計に大いに役立つだろう事は想像にかたくなかった。
 今にして思えば、あの「ブルーカウ」というお店、ジョワンさんの手助けがなくても、ちゃんとやって行けた、素敵な洋食のお店だったと確信している。
 その後、一度国籍をどうしようかという事で甲斐君一家が宮崎に帰って来た事があった。
 甲斐君は、あまり景気の良くなかった当時の日本の様子に、小学生だった娘さんを米国籍にして自らもハワイに骨を埋める決心をしたようだった。その時、またいつか会える、そのうちにハワイに行くからといった会話をしたように思う。私も若くハワイに行く事もきっと、そう遠くはないように思われ、それぞれ若い私達の心は未来の明るい光に向けられていたようだ。
 「マサアキは今年の4月の21日に60才でなくなりました。」とジョワンさんは言った。タバコを愛していた甲斐君は昨年の8月仕事場で突然倒れたとの事。病は肺癌で余命1年との事だったとか。「ケイスケ」と名付けた孫がいて甲斐君の心の慰めになっていたとの事。ジョワンさんも「ケイスケ君」が心の慰めとなっているようだった。
 今回の電話は還暦の同窓会に出席できない旨の知らせの電話だったのが、この事を伝え聞いた同級の者達を絶句させた。その日の夜、テレビを見ていると日本の移り変わる四季の風情が映されていた。清流の水音、風鈴。桜、月。そうだ、常夏の国の友は、この風情を味わう事なく逝ってしまったのだ、という思いがこの時ふっと私の心に湧き上がって来た。

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